院長紹介
紅葉丘整骨院 院長 梅原二郎
経歴
S.42.1.3 生まれる
S.54.3 府中市立白糸台小学校卒
S.57.3 府中市立第二中学校卒
S.60.3 法政大学第一高等学校卒
H.2.3 法政大学経営学部経営学科卒
H.13.3 北信越柔整専門学校卒
H13.4 柔道整復師免許取得
(第38976号)
H16.5.20 紅葉丘整骨院開院
H.19.5 自費移行
治療という仕事に出会うまで
極真空手に没頭した学生時代
高一の時、大山倍達館長の本を読んで感動し、
池袋の極真空手本部道場に入門。
入門初日、大山倍達館長より「やるからには黒帯を取るまでやめちゃいけないよ。」 と握手される。
ゴットハンドのぬくもりは一生忘れないだろう。
毎日、ぶっ倒れたり、足を引きずりながら自宅に帰る日々であったが、
心の中ではロッキーのテーマソングが鳴り響き、「俺はこうして強くなっていくんだな」と
勝手にドラマの主人公になりきっていた。
全日本で活躍されている錚々たる先輩達に揉まれながらも、
なぜか辞めようと思ったことがなかった。
大学三年の時、黒帯を取得し大山倍達館長との約束を果たす。
社会に出てから・・
大学卒業後、某大手不動産会社に入社。
私が入社した頃はバブルが崩れつつある時期で、地価はまだまだ下がり続けるとわかっているのに、
「今が底です。今が買い時です。」とお客様には言わなければならない営業という仕事は
自分には向いていないと悟り、4年で退社。
27歳の時、カレー屋で独立しようとカレーハウスCOCO壱番屋に入社するが
あまりのドンくささに半年でリストラに…
3ヶ月のフリーター生活を経て徳島で1年、富山で1年、健康センターで指圧の仕事をする。
「素晴らしい30代のキップは20代を突っ走った奴しか手に入らない」
という矢沢永吉の言葉を思い出し、29歳の時、極真の富山県大会出場決意。
7年間全く運動もせず、不健康の固まりのような生活をしていたので、無謀な決意であった。
現実は甘くなく、3回戦で敗戦。
試合後、道場の先輩に「もっとまともな人生を歩まなければいけないよ。
やる気があるんだったら富山県で一番業績のある接骨院の先生を紹介してあげるよ。」
と現在私の恩師である吉村先生を紹介してもらう。
富山での修行時代
富山県高岡市で住み込み修行
7年間、富山県高岡市の吉村先生のお宅で住み込み修業をすることとなる。
富山県、特に高岡市は超保守的な土地柄で、
「東京から来た」というだけで白い目で見られ、
バリバリの都会人である私(?)に対する風当たりは当初かなり強かった。
しかしながら、そんな土地柄である富山県高岡市で修行したことで、
「どこでもやっていける」という自信がついたのも事実である。
吉村先生には、
「我々の財産は勉強しかない。」
「我々は治療の勉強だけしていればいいというものではない。
経営の勉強も必要だ。治療と経営は車の両輪だ。
どちらかが欠けても車は動かない。分かるか?」
と、よく言われたものである。
今でも私が以外と勉強グセがあるのは、吉村先生の影響である。
この間、朝7時前から夕方まで接骨院で働き、夜は金沢の柔整専門学校に3年間通う。
国家試験の1週間前に吉村先生の恩師である佐藤清先生に出会う。
佐藤先生は、故・岡崎嘉平太氏の推薦で中国に渡り、周恩来首相(当時)の主治医であった
馮天有先生と中国治療を研究し、さらにその師である羅有名先生に師事された。
その当時まだ日本では知られていない中国医療の奥義を日本人で唯一習得された方である。
佐藤先生は病んだところに自然と手がすっと伸び、一瞬で直してしまうという超人的な人である。
あの元巨人軍監督の長島茂雄氏が最も信頼している治療家である。
その佐藤先生に中国式の首の矯正をしていただいた。
頭から稲妻が落ちたような衝撃を受けた。体全身に気が走り抜けた!
「人間技では無い…」
私は佐藤先生が中国で学んだ治療法とはどういうものなのか気になって眠れない日々が続いた。
いろいろと調べた結果、「推拿(すいな)」という中国の伝統的な治療法であることがわかった。
日本で「推拿」を学ぶことができないのか?調べた。
そして李強(リ・キョウ)という先生が大阪で、孫維良(ソン・イリョウ)という先生が
東京で本物の推拿を教えていることがわかった。
7年間の富山県高岡市での住み込み修行後、開業するため、8年ぶりに東京に戻った。
孫維良先生との出会い
開業前に孫維良先生の推拿塾に参加した。
孫先生の教えてくれた推拿は佐藤先生の技術と同じであった。
なぜなら孫先生は佐藤先生と同じく馮天有先生、羅有名先生に師事していてことがあったからである。
孫先生にマンツーマンで推拿正骨療法の技術と理論をたたき込んでいただいた。
短時間の治療で信じられない位の効果がでる推拿に陶酔した。
しつこいくらい孫先生の元に通った。
平成16年5月20日
「紅葉丘整骨院」開院
今までの治療に対するこだわりを捨て、初日から推拿で治療した。
結果、開院して5週間で59人達成という低迷する治療業界でちょっとした伝説を作った。
保険診療から自費診療へ
保険診療で全身を施術していた頃は、患者さんを2~3時間待たせるようになり、
1日で毎日60人近くの患者さんを施術するのは体力的にも精神的にもつらいものであった。
次第に私の中で「本当に私がやりたいことができない!」というジレンマを感じるようになっていた。
2~3時間待たされても他とはレベルの違う施術が受けられるので、
毎日通院される患者さんも多かったが、私の中では虚しさを感じていた。
「痛いから、疲れたから施術してくれ」というのは慰安的であり、依存的であり、
施術者である私もモチベーションが下がり、施術の質も下がってしまう。
私が本当にやりたいこととは、
その患者さんの体の状態をきちんと説明することであり、
全身のバランスを整える施術であり、
患者さん自身も慰安的、依存的になるのではなく、
普段の生活習慣から改めるという意識を変えるアドバイスをすることだ。
この私が目指す施術スタイルを実現させるためには保険診療から脱皮する必要があった。
保険診療を取り入れている限り、
お一人の患者さんに対する十分な時間を確保することができず、
どうしても流れ作業的になってしまうからだ。
半年間の準備期間を経て、開業してちょうど4年目を迎える
平成19年5月、完全予約制の自費診療に切り替えた。
更なる高みを目指して
自費診療に切り替えることにより、保険診療をしていた時の患者さんはほとんど来院されなくなった。
しかしながら、「根本から身体を改善させたい!」という
意識の高い患者さんが遠方からも来院されるようになった。
今現在、整骨院の保険診療に対する締めつけが厳しくなり、
自費診療に移行するところが増えてきたが、
平成19年当時はまだ保険に依存しているところがほとんとだったので、
業界からも私の行動は注目され専門誌の取材なども受けるようなった。
知名度が上がり、評判が良くなればなるほど重症の患者さんが多くなり、
物理的な施術に限界を感じるようになってきた。
そして、古武術の裏技である「活法」に出会い約7年間学ぶ。
現在、陳式太極拳を学び、日々の修練の中で身体の本質に向かい合う日々である。